「ドサーッ」
という鈍い音とともにキャーッキャーッ≠ニ甲高い悲鳴が校舎中に鳴り響いた。
今にも大粒の雨が落ちてきそうな、少し肌寒い日の昼休み。同じクラスの友人が学校の屋上から飛び降り自殺をした。
高校一年の春だった。
私が通うことになった学校は女子ばかりのマンモス校で、一学年は10クラスあった。短大も併設されている為、学内には学食もある。それでも、やはりお弁当持参の子が多く、私もその日、数人の仲間とともに机を相対にくっ付けて手造り弁当を広げていた。そんな最中、窓を開放して外の風を取り入れていたガラス越しに、何か大きな黒い塊が落下していったのだ。
それが人≠セったとは…そして、まさか先程まで私の斜め後ろで一緒に授業を受けていたクラスメイトだとは、誰も思う筈がない。
間もなく校内放送で私達は教室からの出入り禁止を命ぜられ、救急車がけたたましいサイレン音とともにやってきて、約一時間後…私は事態を把握した。それが、長い苦しみの始まりだった。
彼女はいじめ≠ノ合っていた。
新学期が始まって、一週間もするとクラス内の雰囲気が読めてくる。
先ずは真面目派≠ニ不真面目派≠ニでなんとなく生徒達は二分され、その中でも
一. 親分肌の子
一.悪ぶってはいてもコバンザメのように親分肌の言いなりになる子
一.秀才型の子
一.先生に媚びる子
一.クールな子
と、グループが分かれてゆく。
そして、彼女はその何処にも属さなかった。ただ、誰もが一目見て(ダサい)と思える女の子だったと記憶する。女の子というより、とにかくオバサン臭い。髪の毛は天然パーマで、まるで藤子不二雄漫画に登場するラーメンの小池さんみたい。体型もこ太りで、制服姿もなんとなくだらしない。
クラスには当時(一九七〇年代)としてはませた子が多く、髪の毛をカールする事や、ちょっとした口紅程度のお化粧は大半の子がしていたが、そんな中で明らかに彼女は異色を放っていた。
一般的にいじめの対象となりやすい所謂、おとなしい生徒≠ナはなかったが(教室の隅にソッといて誰とも口を利かないような。)
皆は彼女を相手にしなかった。案の上、彼女を(無視する会)が無言のうちに設立され、誰も本当に彼女に話しかけなくなっていた。彼女はその事にまるで気付いていない様でもあった。いつも割と穏やかで朗らかだったからである。でも、今思えば、彼女は笑っていた訳ではない。顔のつくり事態が…笑っているようなパーツの配置だったのだと思う。
私は彼女を無視することはしなかった。けれど積極的に接することもしなかった。一番調子の良い人間だ。でも、いつもいつも、そんな彼女の存在が痛かった。
そして、そんな形で自ら命を絶ち、あっけなくこの世を去っていった結末は、その後の私の人生を苦しめた。過去に、私も何度かいじめ≠ノ合ったことがあるからだ。
小学校の入学式。
その軽いランドセルを背負うと共に、私は重たい人生を背負うこととなった。私のランドセルは中古の二段だったからだ。
当時、商売好きの父は何度も失敗を繰り返し借金を抱え、返済の為に昼夜問わず働く日々が続き、わが家は貧困窮まる生活を余儀なくされていた。そんな状況の中、小学校入学の為に用意してくれたランドセルは、古びたペッタンコの二段式だったのである。普通は五段も六段もあることすら知らず大喜びしていたのは束の間だった。
入学式の翌日から、皆の視線が私に集まる。私は、いつランドセルの事を誰かに言われるかとビクビクしていた。そして、ビクビク怯えている自分の心を何時見透かされるか…とさらに脅えていた。
とうとう、その時刻がやってきてしまった。クラスのガキ大将の男の子が通学途中の私の背後から大声で突然叫んだのである。
「おい!
お前んち、貧乏だろ!
良く二段のランドセルなんか売ってたな。
いつも同じ服着てるし、貧乏だろ!」
恐れていたことが現実となってしまった瞬間だった。
それから毎月、私への嫌がらせは始まった。授業中にケシゴムを投げられたり鉛筆を折られたり…ガキ大将の男の子をとり巻く数人の子達が皆おもしろがって私にイタズラを浴びせてくるようになった。
生来気の強い私は、いじめられて学校で涙を流す事はなかったけれど、夜、布団に入ってから自然と涙が溢れ出た。泣かない私を「泣かす会」が発足し、いつしか小さないじめの輪は大きくなりエスカレートしていった。
瞼を腫らして登校するようになってから、おおよそ二年の月日が経過した。
私には唯一の友達(というよりは相棒が)が出きていた。夜、眠りにつこうとすると、その子はやって来る。体長十センチほどのたまご型をした生きものはピンク色で、すかさず私に話しかけてきた。
学校のこと、いじめっ子のこと、宿題のこと、家のお手つだいのこと…。私はその生きものに(アモ)という名前をつける事にした。
アモは、たまに家から飛び出して、駅前にある本屋さんで私のために本を借りてきてくれる。そして朝までに本屋の棚に返しにいく。アモが選んでくれる本を読んで私は元気になった。アモは、いつも私の服のポケットに入って学校へも一緒にいく。
「私はあなたの味方よ!いつも此処にいるから忘れないでね。」
アモは毎朝同じ言葉を繰り返す。
その日はお陽さまがカンカン照りの暑い夏の朝だった。私の中に、何か突然込み上げる熱いものがあった。
「変わらなければいけない…。」
私の魂が叫んだ。そしてアモも同じく叫んだ。
「そうだね、変わろう!応援するから!」
いつものように、私をからかってくる男の子達。教室のいつもと変わらぬざわめき…。(私に対する苛めなんかは、いつもと何ら変わらない風景の年中行事に過ぎないんだ。)初めて自分を客観視したのかも知れない。
次の瞬間、私は大声をあげていた。
「外に出なさいよ!」
校庭の砂場で、ガキ大将の男の子と私の一騎討ちが始まった。アモがポケットの中から小声で囁く。
「髪の毛をつかめ!
絶対に離しちゃダメ!」
抜けるまで、絶対に離しちゃダメ!」
私は死にもの狂いでバサッと相手の髪の毛を大掴みし引きづった。それは二年半分の我慢が爆発した瞬間。10分程の格闘の末、ガキ大将は泣き出した。砂場に群がっていた大勢の観衆からは拍手が沸き上がる。
「二度と私にイタズラしたら、又、同じ目に合わすからな!」
私はズに乗って相手を罵倒していた。ガキ大将は悔しそうに、そして恥ずかしそうに逃げ帰っていった。その晩のこと、アモが布団の中で、
「今日は頑張ったね。でも、このままじゃ本当に勝ったとは言えないよ。あの男の子に謝ってあげてね。」と言った。
その言葉のごとく、次の日から学校へ来なくなった男の子の家へ行き私は心から謝った。皆の前で恥をかかせたやり方はフェアではないと素直に思えた。心から思えたからだ。彼も照れくさそうに謝ってくれた。そして又、元気に学校へ来てくれるようになった。
私は変われた。運良く、自分を変えることができた。それからの私は、ランドセルの事や我が家が貧しい事も笑い話として面白おかしく笑いとばす事ができるようになった。
全てアモのおかげだ。でも、それ以来、アモは私に姿を見せなくなり、何年か経つうちに、私もアモのことはすっかり忘れてしまっていた。アモは、表面にでることが出来ないもう一人の私だったのかも知れないし、私のことを遥か遠い過去の世界から時空を越えて応援しにきてくれたご先祖様だったのかも知れない。とにかく、私は変われた。
そんな経験があるにもかかわらず、高校一年の時、自ら命を絶った友人を、私は救うことができなかった。イジメに合っていたのは知っていたのに、声をかけてあげる事すらしなかった。
皆が仲良くお弁当を食べている面前で、自分の姿を…屋上から地の果てにと落下してゆく姿を見せるのが、彼女にとっての最後で最大の抵抗だったのだろう。
その時から、私は決めた。全ての人々に平等でありたい。そして、決して争いはしない。争っている人がいたら、無視はしない。イジメは見逃さない。彼女の力になる事ができなかった自責の念を脱却すべく、常に世の中の理不尽を見過ごすことのない大人になりたいと…心に誓った。
そんな私は今、スピリチュアル・カウンセラーをやっている。ソウル・カウンセラー(魂に寄り添う相談者)ともいう。
いじめは、学生時代だけの問題ではない。社会に出ても職場で地域で、…主婦となって子供を産んでも、ママ友同士の間でいじめや仲間外れが絶えない。昨今では、顔や実名を明かさなくて済む気楽さから、SNSを使った誹謗中傷もエスカレートしている。いじめをする側の人間も、何か心の中にポッカリ開いてしまった穴埋めの為にその様な行動を起こしている事が少なくない。そして、被害者は、いつ加害者に変貌してしまうかも知れない。だから、皆で変えていかなければいけない。それには、私達一人一人が、自分をもう一度見つめ直し、魂を磨いて変わっていかなくてはならない。これが私達人間に課せられた、永遠の課題だと思う。
あの苦しいイジメの体験から早や50年という月日が経過した。人生なんて、本当にアッという間だ。皆、いつかは望まなくても
死≠迎えることとなる。私もしかり。
スピリチュアル・カウンセラーとして、私はせめて、伝言を残したい。
今、辛く苦しい最中にあっても、それは長い人生の道のりのほんの寄り道に過ぎない。目の前の、ちょっと尖った石ころに、つまづいただけの事だ。そんなことはいつまでも続きはしない。そして、あなたを護ってくれる。神様≠ヘちゃんといる。神様とは宗教的なことだけではなく、あなたを支えるべく背後で応援してくれている目には見えない存在は必ずいてくれる。その目には見えない味方を視ることも大切だと思う。
そして、一番は、(自分探し)をしてほしい。世界人口78億7500万人の人間がいても、あなたはたった一人。あなたという個性を光らせて、あなただけにしか出来ないことは必ずある。
あなたにしか出来ないこととは、あなたが誰にも負けない…あなたが一番のことは必ずある。それを探して探して、探し続けて頂きたい。それは生き甲斐になり、やがては(生きていて良かった!)と心から満足して死んでゆける死に甲斐≠ノもなると思うからだ。
それから、自分を大切にしてもらいたい。自分を理解し、本当に癒してあげられるのは自分なのだ。自分を愛して大好きになってもらいたい。
自分の事が嫌でキライで、自分を世の中から消してしまいたいと思っている人ほど、いじめに合いやすい。
だから、先ずは自らが自分を誉めてあげられるように前向きになって、ダメな自分ごと誉め、励ましてあげられるように変わる??
そうすれば、きっとこの世にも、神様のような人がいることに気付くことが出来る気がする。それを、伝え続けてゆくことが、若い世代の方、又、同世代で未だいじめに苦しむ人々への、せめてもの私の伝言です。
そして、それがきっと私の生き甲斐であり、高校時代に失った大切な友人へのはなむけになると信じています。
[完]
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